日曜の夜、スマホの連絡先を上から下まで眺めたことがあります。
並んでいるのは、家族、職場の人、昔のバイト先、行きつけの美容院。「今から会おう」と言える名前は、一つもありませんでした。
画面が暗くなると、そこに自分の顔がうっすら映ります。「友達がいない自分は、ダメな人間なんじゃないか」。あの夜の僕は、本気でそう思っていました。
同じ問いを抱えたことのある人に向けて、この記事を書きます。
先に言ってしまいます。僕も友達はいません
隠しても仕方がないので、最初に書きます。
僕には友達がいません。少ない、ではなく、いません。休日に誘い合う相手も、深夜に電話できる相手もいない生活を、もう長く続けています。
昔はそれが恥ずかしくて、必死に隠そうとしていました。「友達くらいいないとまずい」と焦り、無理に話しかけたこともあります。柄にもなくバカになって、笑いを取ろうとした時期さえありました。結果は失敗の山です。すべって場が静まり、恥ずかしさと情けなさだけが残る。そんな経験を、数えきれないほど繰り返してきました。
それだけ頑張っても、友達はできませんでした。でも、いま僕は、そのことで自分を責めていません。
正直に言えば、いない生活で実際に困ることは、思ったより少ないです。平日は仕事をして、休日は好きなことをして過ごす。静かですが、穏やかな毎日です。
「いない=ダメ」という思い込みは、どこから来たのか
振り返ると、あの夜の思い込みには出どころがありました。学校です。
教室では、休み時間に一人でいると「かわいそう」という目で見られます。遠足はグループ行動で、体育はすぐ二人組。誰かと一緒にいることが標準で、一人は例外として数えられていました。
その空気を、僕たちは大人になっても引きずっています。でも、社会に出た今、二人組を強制される場面はほとんどありません。一人で食事をしても、一人で出かけても、誰にも何も言われないのです。「一人=かわいそう」は、教室の中だけのローカルルールでした。
ルールが消えたあとも、採点だけが頭に残っている。僕の「ダメな人間なんじゃないか」は、その残響だったのだと思います。
「友達の数」は、人間の価値と関係ありません
まず、これだけははっきり書かせてください。
友達が多い人は、それはそれで素敵だと思います。誘い合える仲間がいる週末は、きっと楽しいはずです。そこを否定するつもりはまったくありません。
ただ、それは「人としての優劣」の話ではないのです。友達の数は、性格や環境がたまたま作った結果にすぎません。一人の時間で回復する人もいれば、人といることで元気になる人もいます。どちらが上でも下でもない、ただの違いです。
「友達○人」という数字では、あなたの誠実さも、優しさも、仕事ぶりも測れません。測れないものを物差しにして、自分をダメだと裁かなくていいのです。
SNSを「見るだけ」でも、僕は十分楽しめています
では、友達がいない僕の毎日が真っ暗かというと、そうでもありません。
僕にはSNS上だけの繋がりがあります。同じ趣味の人の投稿を眺め、ときどき「いいね」を押す。ほとんどそれだけの関係です。名前も顔も知りません。それでも、好きな話題を追いかけている時間は、素直に楽しいものです。
会話が苦手でも、投稿を読むことはできます。返信の速さも、場の空気も気にしなくていい。話し下手の僕にとって、この距離感はむしろ心地よいものでした。誰かと同じものを面白がれるだけで、繋がりの実感は案外足りるのです。
見るだけの繋がりには、もう一ついいところがあります。やめたくなったら、いつでも静かにやめられることです。関係を切る気まずさも、言い訳もいりません。負担にならない繋がりだけを、手元に残せます。
ただし、一つだけ注意も添えたいところです。SNSで他人の楽しそうな投稿と自分を比べて、苦しくなることもあります。そうなったら、距離を置いて構いません。楽しめる範囲でだけ使う。それもSNSとの立派な付き合い方だと思います。
それでも孤独がつらい夜のために
ここまで「いなくてもいい」と書いてきました。それでも、孤独感が強くなる夜はあると思います。僕にも、今でもあります。
つらさが強い状態が長く続くときは、一人で抱え込まなくて大丈夫です。カウンセラーなど、専門家に話を聞いてもらう選択肢もあります。誰かに頼ることは、負けではありません。
そして、もし「誰かと分かり合いたい」という気持ちが残っているなら。無理に友達の数を増やすより、合う相手を一人だけ探す方が、僕たちには向いています。その考え方は同じ境遇の人とは、深く分かり合えるに書きました。
友達がいなくても、少なくても、あなたの価値は減りません。いない側の人間として、僕はこれからもそう言い続けます。